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物価上昇するBaguio
カテゴリ: フィリピンKalinga
僕が初めてBaguioを訪れたのは1999年だったろうか?当時はBaguioの大地震で協会は崩れ復興の最中だった。
それから何度もこの地を訪れたが、この所の物価上昇は目も当てられない。
Baguio001
Baguio002
既にBaguioはもちろんフィリピン都市部は物価上昇のために、のんびり旅をする場所では無くなったなぁという印象。
相変わらずぼったくりは横行しているので、お店によっては日本より高いこともある。
ホームファミリーが住んでいるので訪れたが、旅を楽しむ場所では無くなったかなぁという印象。
高級ホテルもあったり、何処がというより、平均的に物価の上昇が感じられる。
老朽化したゲストハウスでさえ、値上がりしている。
ブラックマーケットでのマネーチェンジは市場にあるが、レートも渋くなったなぁという印象。
交渉すると1万円当たり、100ペソ程度上昇したりもするので交渉してみるのがいいと思う。
その場で現金を計算し、数えることが出来ればこのブラックマーケットは安全。
住みにくくなったなぁというのが正直な印象。
気候はフィリピンで一番いい都市でもあるので、今後更に物価が上昇しそうだなぁ。
日本料理屋がショッピングモールにあるが、中国、韓国資本が殆ど。
おかしな日本語があるので直ぐに判る。
たこやきやラーメン店が何店舗かあるが、基本味付けが甘く、フィリピンテイストになっているので、
黙ってアドボなんかを食べている方が日本人は美味しく感じるかもしれない。
悩ましい街になったなぁ。
Edit / 2023.10.31 / Comment: 0 / TrackBack: 0 / PageTop↑
ファイアーフライ
カテゴリ: フィリピンKalinga
仕事で、カリンガを訪れた時のこと。
彼は随分と歩くのが遅くなっていた。
年齢も僕より上だし、バスが谷に転落する事故に巻き込まれ、足も悪い。
とはいえ、昔あれほど屈強だった彼が、老いて行く姿を見るのは寂しくもあった。

ガイドするコースも、ネイティブな暮らしを案内するコースから、
タトゥが有名なボスカラン村をトレイルするコースに変わった。
昔のサガダでマリファナを吸うのが前線して来た感じだ。
この20年で100キロ位前進してきた。

国がネイティブな暮らしを守るという意思はない。
懐柔して村を飲みこもうとしている。
豊かな暮らしを望むことは誰しも思う。
貨幣経済が浸透していなかったこの地にもそれは押し寄せており、もう止められない。

金は人を幸せにするんだろうか?
そっと文化を守ることをどの国も良しとしない。

新たに生み出す事。失われること。
もう一度考えて欲しい。
今の物質社会が最高では無い。
それはまごうこと無き事実だ。
物質が尽きた時人はどうするだろう?
ハイエナのように群がる。
それは油なのか、プラスチックなのか、鉄なのか、食料なのか。
いずれにせよ、そうした物だ。

何食わぬ顔をして、買うインテリア。
複数台所有する車。
そうしたものが、地球と将来の人類に与えるダメージは、
計り知れないが、人の欲は留まることを知らない。

でも人は止まらない。
いったい、どうしたら、人は争わず文化を守っていけるのだろう。
なぁフランシス。今もあのファイアーフライのツリーは見れるかい?
今行く今行くよ。
Edit / 2022.06.01 / Comment: 0 / TrackBack: 0 / PageTop↑
久しぶりに更新します。
カテゴリ: フィリピンKalinga
久しぶりに更新してみようと思います。
久しぶりというには年月が経ちすぎていますが。

この10年程でフィリピンは大きく変わりました。
経済状況が良くなり、物価は大きく上昇し、私が訪れていた地域にも電気や道路が通り、
かつての村は市場経済へとかなり近づいた印象があります。
茅葺の家はトタンの家へと変わり、文化はどんどん失われています。
覚悟していたこととはいえ、寂しい気持ちになります。
あぁ、ここはもう自分が訪れる土地ではなくなったのかもしれない。
そう思うこともあります。

20年前「ここは変わらないさ。これまで変わらなかったように。」
そう言っていた人たちが便利さを知り、文化を失っていく。
こんな風にして、世界は変っていくのでしょう。
でも、そうした世界観に背を向ける人々が居てもいいのではないか。
今、私たちが暮らすこの世界が常に正しいわけではないのだから。

北センチネル島。ベンガル湾に浮かぶこの島は、文明との触れ合いを拒否したまま暮らしている。
こうした部族、もはや国と言えると思うけれど、こうした国が残されることは大切なのではないかと思う。
変わることを人は望まない。しかし、人の意思は止められない。
自分たち日本人が託された意思というのは、どういうものなのだろう。
Edit / 2021.06.17 / Comment: 0 / TrackBack: 0 / PageTop↑
危惧していたことが現実となる日
カテゴリ: フィリピンKalinga
kalingaの奥地にも、遂に道路が通ってしまった。いつかこんな日が来るのではないかと思っていたけれど、
ここも、もう古き良き時代の面影が消えつつある。
どの家にも置かれたテレビ。20年前には電気すら無かったこの場所が大きく変わった。
近い将来冷蔵庫が全世帯に常備されるのも、そう遠い未来ではないだろう。
始めて僕がこの地を訪れた時に感じた不安が現実となったのだが、
人はお金や便利さを知ってしまい、その暮らしを手に入れてしまうと、容易に後戻り出来ない。
これまで培った文化はそこで少しずつ失われていくことになる。
いつか来るとは思っていたけれど、それは予想よりも早かった。
Bontocは今や物価の上昇が激しく、老朽化したゲストハウスですら当時よりも高い値段で宿泊料を取る。
Baguioは、マニラと変わらない値段を取るホテルが幾つもオープンした。
僕が知るゲストハウスは1つを残して皆無くなっていた。

ここは僕が立ち寄る場所ではもうないのだろうか。
長く付き合った友人と逢いたいと思う気持ちはあるが、
行くたびに寂しい気持ちになる。
仕方ないことなのだよね。
人は誰も豊かになりたいのだから。
Edit / 2020.08.13 / Comment: 0 / TrackBack: 0 / PageTop↑
文明に押し流されていく村
カテゴリ: フィリピンKalinga
3年程前に、仕事で同地を訪れた。
当時生徒だった子供は成人し子供を作り、時が経ったことを思い知らされた。
女子の生徒は、家の前を子供を連れて、わざわざ通り過ぎてくれたり、
なんだか、とてもうれしくて、ぎゅっと抱きしめてよくやったなって言ってやりたかった。
あぁ、ここには俺のルーツがあるんだなと思いました。

初めて見る人は判らないだろうと思いますが、気にせず書くことにします。
伝わる人に伝わればいいということで。
Tinglayanに付いた時のことです。
たまり場?的なところで声をかけられました。
ButButに行くのか?
そうだと答えると行こうぜ!
という返答が返ってきました。
あぁ、村人なんだろうかと思いながら、ついていき、
彼のバイクにまたがりました。
村までの道のりは45分程。
道すがら彼はなぜ自分を乗せてくれたのか、自分を知っているのかなとは思いましたが、
彼の横画を見ながらなんとは無しに考えていました。
すると、ふと思い当たりました。これは、生徒だったノアじゃない?
貧しく、学校にも満足に通えず、でもいつもうちに来て、一緒にサッカーやかけっこをした、
あいつじゃないかと思い当たりました。
僕は2ストのうるさいエンジン音の中、ノアお前かと問いかけると、彼は黙ってうなずきました。
涙が出るほどうれしかった。
彼は僕を結婚した(その子も生徒でした。)彼女と2人の子供たちに会わせてくれ、
一緒にコーヒーをのんだのでした。
彼も、現代に生まれたとはいえ、確実にbutbutの男になっていました。
多くを語らない。シャイで強い男に。
本当にうれしかった。やっぱりbutbutは僕にとって古郷だなぁと感じた瞬間でした。
難しいところはたくさんあるけれど、近いうちに約束を果たすためにまたこの地を訪れると思います。
この地で亡くなったたくさんの日本人の英霊たちに感謝を込めて。
Edit / 2019.09.19 / Comment: 0 / TrackBack: 0 / PageTop↑