みなさま、こんばんは。お元気ですか?お彼岸も過ぎましたねぇ。こちらはすっかり夜は冷えます。みなさまのところはいかがですか?まだ暑い?いやですねぇ。もうひといき、頑張りましょうね。それはそうと、今年の心霊番組、少なかったですねぇ。あっても、もうネットからの流用が多くて、しかも余りエグくないのを選んでばかりいるもんだから、新鮮味も恐怖も感じられませんでした。あ。新鮮といえば、ほん怖。芥川賞作家の又吉さんが出演してましたねぇ。あれが新鮮といえば、新鮮でした。話はどうというものではありませんでしたが。
そんな訳で、でもないんですが、先日山岸凉子全集の「ゆうれい談」を読み返しまして、巻末のインタビュー記事を読みましたら、なんかいろいろ教訓というか、首肯せざるをえない内容が記されてあり、これを読者の皆様だけにお読みいただきたいと思い、転載することにしました。最近、この全集も古書店で見つかりにくくなり、特に本書はほとんど見ませんので入手が難しくなってきているのかな、と感じていたりします。そんなこともあっての全文掲載です。
[誤字脱字誤改行などあるかも知れません。見つけた方は・・・お許し下さい。]
山岸凉子の幽霊譚 少女まんが家には不思議と神秘的な体験を持つ人たちが多い。徹夜などをすると必ず怪談大会になってしまうとか。山岸凉子先生もそんな一人だ。先生の場合は不思議な体験がかなり作品のベースになっているようだ。そのあたりもふくめて、先生に「幽霊譚」をうかがった。
聞き手/飯田耕一郎
不思議な体験をするのは、どこか父の影響かあるかも 早速ですが、夏にはまだ早いというのに。ゆうれい話”です。
幽霊なんて――と、いまだ思っている人はたくさんいるでしょう。幽霊、あるいは超能力といったものは、信じない人にはどう説明をつけようが、写真などといった物的証拠をあげようが、これはなかなか信じてもらえないものです。そういうものはいつでも「錯覚」「手品」「インチキ」「気のせい」として処理することが可能だし、実際そうであるものも少なくないはずだから、それもまあむりのない話だとは思うのだけれど、しかしその存在を知る者にとっては、これはもうあたりまえすぎるほどの事実であって、いまさら信じる信じないの話でもないでしようといいたくなってしまうのですね。
なのに世間はいつまでだっても『私は幽霊を見た!』とか『超能力は実在する!』ってやってるわけで、それじゃ全然話が先へ進まないではないですか。問題はもうすでに、その先どうやって幽霊を避けるか!――そういった点に私たちは日夜頭を悩ませているのです。おわかりですか!?
そんなわけで、今回ユウレイ話だけでインタビューしてみようとお忙しいところをむりやりお願いして山岸凉子先生のところへいってまいりました。やっぱりいつも山岸先生の作品はとても怖いし(そうでない作品は”怖い”ではなく”恐ろしい”といわなければなりませんが)、その秘密は単なる作品上の創作ではなく、体験的リアルさが加えられているからともいえるのです。つまり、山岸先生自身が恐怖を肌で感じながら描いているのだと。
その”恐怖”の、多分ホンの一部ではありますが、まあ読んでみてください。なあに怖くなんかありません。こ、怖くなんかないんです!。
――ふつうこういうコトにのめり込んでしまうと、親ってのは「なにをバカなことを・・・・」という感じでしょ? でも山岸さんとこの場合は……。
山岸 ええそうなんです。私がこうなったのはむしろ父の影響といっていいくらいで、でもそのくせ私かこういうようにのめり込むと「おまえそんなに気にするな」っていいだしたりして逃げ腰になるんですよ。
―おとうさんの影響というと?
山岸 ええまあ、父自身は幽霊とかそういうものは見たことないそうなんです。父の妹 ――私のおばさんになるわけですけど――なんかは非常に見える人たちなんですけどね、父の場合はそういうんじゃなくて終戦の年――昭和20年のお正月に、北海道の街をジープに乗って、毛むくじゃらの背の高い男が手をふってる夢を見ましてね、当時はジープの形も知らなかったから、いまの夢はなんだったんだろうってスゴく気になったんですって。それで8月に終戦になってしばらくしたら、そのジーブに乗ったアメり力兵が入ってきて、 もうビックリしたっていうんですよね。
――なるほど、正夢だったわけですね。
山岸 ええ、だから父はいまでも「いゃな夢をみたんだ」ってときどき電話してきたりするんですよ。でも夢ってのは、悪い夢は良いことのあらわれで、良い夢はその逆で悪いことのあらわれだったりするんですってね。
――へえ~そうなんですか?それは知らなかった。それと、おかあさんの話がありましたよね? それがやっぱり……。
占い師の予言通りに母か病に臥し、亡くなったんです山岸 ええ、これは父から聞いたうろ覚えの話なんですけど、北海道の小樽から札幌に移る時まあ冗談まじりだったらしいんですけど、占いの店にいってみてもらったらしいんです。そうしたら「いまあなたは、こちらの方角に移れば危ないですよ。家族のうちの誰かが必ず重い病気になって、倒れるか亡くなるかします」っていわれたんです。でもその時引っ越さなければ社宅が与えられないって時だったものですから、結局それをけとばしましてね、全員で引越しちゃったんです。そうしたら引っ越したとたん、本当に母のぐあいが悪くなって、そして大学病院に入って四年間入院しっぱなしで亡くなったんです。
――なるほど、そういうことがあるとちょっとショックですねェ……
山岸 ところがその家ってのがまたおかしくってね、お葬式の時におなじ社宅の人たちが、受け付けとかいろいろやってくれるわけですよね――で、ヒソヒソ話してるのを聞いたら「そうなのよね、この社宅のうちでこの家だけなのよね、毎回入った人たちがお葬式出すのは…」っていってるんです。 一
――(ことばなく、うなずいている。)
山岸 あの家ってのはいま考えてもへんな家だったんですよね。その社宅の北向きの部屋が一つありましてね。兄はそこを勉強部屋にとったんですけど、なんと恐しいことに場所がないから一畳敷の大きな仏壇までそこに押し込んであったりして・・・それで奇妙な、ぶきみな夢がその部屋なんです。私かその部屋に外側からボッと入っていて、扉は全部閉まっていて暗い部屋なんです。で、窓だけがボーッと明るくて、そうすると窓の外からブッブツいってる声が聞こえるの、それでなんだろうと思って窓を開けてのぞいてみると――本当はそこは草がぼうぼうはえてるところだったんですけど、そこが一面蓮の葉がわァって密集してるのね。で、スゴいなって思って見てると、そこに水玉がいっぱいついてるんです。その水玉をよくよく見たら、それがなんと全部小さな仏様なんです。で、ブツブツといってるのが全部お経だったんですよね!
――いやァ怖いですね。それ夢ですか?
山岸 そうなんです。夢ですよ。 それでパッと目が覚めたたんですけど、なにかとっても怖かったんですよね。で、その話を二年くらいあとに兄に話したら、実は兄も「おれもあの部屋に立っていたら河原というか沼みたいな所になっていて、おまえが蓮の葉を見た窓の外は池のような状況になっていた」というんですよね。だからあそこはなんだったんだろうね、なんてよく話すんですよ。
壁ぎわに立ちつくしていた男の人は誰だったのかしら このお兄さんというのが、そういうものにたいベん縁のある方で、そんなものはいない!と否定し、信じないふりをしながらどんどん色々なものに出会ってしまうという人なんだそうです。
そのひとつが、新橋の某ホテルに上京してきたおとうさんとー緒に泊まった時の話で、そのホテルはわりと出るっていう有名なホテルなんだそうで、夜中ベッドのそばに立ってジッと見おろす男がいるという――それを山岸さんの知りあいのまんが家さんがやっぱり経験したそうで、それを聞いた山岸さんがお正月に北海道に帰った時に聞いてみたそうです。
そうしたら――。
山岸 私が冗談まじりに「なにかおかしいことなかった?」って聞いたんですよね。そうしたら最初おかしいことをおもしろいことと受けとって、泊まり客なんかのおもしろい人の話を始めたので「そうじゃなくて、おかしいことっていうのはへんなこと」そう私がいったら、きゅうに兄が真剣な顔になって「あった」っていうんですよね。それでもうビックリしちゃって、私はそれ以上なにもいわないのに「でもあれは、おとうさんだと思っ・・・・た」っていうの、だから私は思わず「そうなの男の人でしょ!」って叫んで、兄が「ウン」って。・・・兄がいうにはその日父と一緒にツインの部屋に泊まって、それで寝てたら夜中にふっと目が覚めたんですって。そうしたらベッドの脇に、電気を消してるから真っ暗なんですけど、そばで男の人がジッと立って見おろしているんですって。それを見た兄は「ああ…おとうさんがトイレにでも立った帰りにおれの行く末でも案じて見てるのかな、親不孝だなァ…」なんて思いながら、結局そのまま寝てしまったっていうんですね。ただなんとなくいやな感じだったんだよっていいながら、兄は「そうだ、おとうさんであるはずがない!」 っていうの。どうしてって聞いたら「おれは壁ぎわのベッドに寝ていたのに、その男が立っていたのは壁ぎわなんだ!」っていうもんだから、キャーッ。
―― (ことばなく、間)
山岸 で、その話をアシストさんたちにしてたら、アン・ルイスか誰かが『三時のあなた』かなんかで、やはり新橋のホテルでそういう目にあって、そのホテルがお祓いをしたっていう話がありましたよっていうんですよね。でもその話は、兄たちのずっと前らしいから、結局お祓いが全然効いてないってことになるんでしょうね。
お祓いなんか効かない! なんの害もない弱い霊だったら効果もあるだろうが、本当にお祓
いしたい困った霊には残念なことにお祓いなんかじゃだめなのだ。ぼくの昔の友だちで、四、五人で住んでた某所では、戸はいきなり開くは、首はしめにくる。うめくような泣き声は毎晩聞こえるといったエライところだったのだが、これが週間誌ざたになってやっぱりお祓いをしたのだが、結局だめだったし、最近では下北沢にあるマンション ――これが3LDKだというのに家賃二万円にまで落ちていまは閉鎖にまでなったというのだが、毎晩水を飲みに幽霊がやってきて、風呂場の水が真っ赤に染まったりで、とにかくどんな人がそこに入ってもすぐでていってしまうという部屋。じつはそこで親子が殺されたそうなのだが、いまだ犯人がつかまってなくて、これもお祓いはしたらしいのだが――そう、ぜーんぜんダメなんですよねェ。むろんぼくは、そんなところへ行って確かめる気はありません!
――さて話は核心に入っていくわけてすが、山岸さんは去年玄関を改築されましたよね。玄関が鬼門になっていたという…。
山岸 そうなんてす。この家のいろんなへんなことが鬼門のせいじゃないかってことで…。
――へんなことっていうのは、あの『あやがしの館』って作品にあるようなことですよね?(本巻「ゆうれい談」にも掲載されています。ぜひお読みください。これは登場する家もそのまま山岸さんのお宅がモデルになっております。)聞けばあれは実話だそうですが、あそこにでてくるのはどこまでが本当なんですが?
山岸 エピソードにでてくることは全部本当です。ドアがバタンと開いたり、寝ている時に誰がが階段をあがってきて「ハァハァ」とかっていいながら顔をのぞいたり、電気製品の故障なんかみんなあれ全部そのままなんですよね。それがら最後の、のぞき穴がらのぞいたら金色の人が通りすぎたのも全部。
――それを山岸さんがご覧になったんですが?
山岸 そうです、私が。
――う~む…。
山岸 寝息が聞こえるってのは、上京してきた頃にもよくあったんです。まだアパート暮らしだったんですがそこの部屋は二階で、昼間だったんですよね。で、最初は自分の寝息が聞こえているんじゃないかって思ったわけ、それじゃよし息を止めてみようって止めてみると、それでもスーハースーハーって聞こえるんですよね。それで、それがとってもいやだったから帰った時にその話をしたら、親戚にあたるおばあさんが、それはとっても良くないっていうんですよね。つまりそういう時っていうのは、魂を抜きとられる時だっていうわけです。怖いでしょ、だからそんなのと呼吸を合わせて寝ちゃいけないって。・・・でもそれ、本当にその息の感じが、こうベッドのそばにかがみ込んで、両手をはしにのっけてのぞき込まれてるって感じでしょ。嫌ですよ。
「あやかしの館」は、玄関が「鬼門」なんですよ… ‘――い、いやですね。困ったもんです・・・(背すじがゾクッときてる)
山岸 まあでも、私ぐらいでしょうね、幽霊騒ぎで改築するなんて人も……。
――いやあ、でもこれだけことが起こればこれはやっぱりタダゴトじゃないですからね、誰だって考え込みます。むしろへいきでいられるほうがおかしい。しかし、どうしてまた鬼門だったんでしょうね?
山岸 ホントにね。私そういうの知ってましたから避けたんですよ。避けたつもりだったんです。それなのに玄関が鬼門にかかっていて・・・・・・。
――鬼門というのは方角でいうと?
山岸 北東の方角です。これが表鬼門で、裏鬼門が西南ですか。
――その鬼門がわかったというのは? たしかそれでお札の話がありましたよね?
山岸 ええそれがね、いま思うとあの人ってまるでそのためにきたって感じなんですけど、あのね、なんだかそのことが気になってる時にちょうどきたアシストさんがいるんです。それで私が、この家ってチョットヘんなんだって話をしたら、彼女が自分のおかあさんの知ってる人で、そういうので方位をみてくれる人がいるっていうんです。それで紹介されて、設計図を見せたら玄関が鬼門にかかってて、これは全然だめだってさんざんいわれましてね。で、改築するにも一年のうちのどの月がいいってことまで指定してくれて、でもその改築までにそれじゃ日数があるわけだから、それまでどうしたらいいかって聞いたら、寒川神社が関東一円の厄払いのところだからそこへ行ってお札ををもらってきてくださいっていうんです。それを改築するまで貼っておいてくださいって・・・。ところがそのお札が・・・あちこち貼ったんですが、その鬼門のところの玄関に貼ったお札だけが、はがれるんですよ。貼っても貼っても、そこだけはがれるんです。―まあ、セロテープで貼ってるから落ちるんだといわれればそれまでですけど、他のところは全然落ちないわけですよね。そういうのって、とにかくある日二階からトントンとおりてきて、玄関のほうを見ると、ブランとはがれているお札を見るっていうのは心臓に悪いですよ~。
そうだ心臓に悪い! とにかくもう外は暗くなっていて、そしてその日に限って(前後はスッカリ晴れた良い天気だったのに)みぞれから雪にかわる寒い日だったこともあり、部屋の中は暖かいけどつい話題を関係のない明るい話に持っていきたくなる。しかしそれではいけないとがまんして、さらに話は進められたのだが、どうしてもいまインタビューしてるこの家が…と思うと“館”の話から遠ざかり、話は屋外へ飛んだ。
――そういえば、去年国分寺のガードでへんな目にあったっていってましたよね?
山岸 昔「ゆうれい談」で国分寺の怪を描いたんですが、数年後にその国分寺へ自分が引越すなんて夢にも思っていながったんです。(おまけに石垣まで出てくる。)あれは夜9時半頃なんです。家へ帰る途中で、その駅の近くのガード下を通ったんですね。そうしたら、ふくらはぎをなにががギュッとつまむような感じで「エッ?」って思って、だってそんな低いところに人の手があるはずもないから、その時は、なにか枯枝かなんかがつき出てて、それにいきおいよくあたったんだって思いましてね。ストッキングのデンセンを恐れまして、そうして見たらなにひとつないんですよね。だだ石垣があるだけで、それを見たら、そのつままれだ感じがとっても恐ろしくなって急いでその場を離れたんです。もうそれからはいってないですよ。。二度とそこ歩いて通ろうとは思いません。
人魂っていうのは人間の皮膚だけ通りぬけられぬとか そのガードの通りを真っすぐ歩くと山岸さんの家があるのだけれど、さらにその道を真っすぐいくと、なんと小平霊園なんていうのがありまして、そしてこの道は霊柩車がしょっちゅう通ったりするという困った道なんです。お墓というと人魂がつきもので、つい話はそちらのほうにも流れてゆきます……。
山岸 人魂っでいうのは、聞いたところによるとおばあさんや年とった人の火の玉は低くゆっくり飛ぶんだそうですね。それで若い人のは高くキューと飛んでいくらしいんです。小さな時に、兄が夏に縁側に出てて「あれ火の玉じゃないか…」っていうから、私が出ていった時にはもう見えなかったんですが、それは高い所を指さしていたから、あれはきっと若い人のじゃなかったかしら? ―でも兄はしょっちゅうそういうのを見る人で、墓まいりにいった時とかも見たっていってましたけどね。
――人魂っていうのは、やっぱりあれはただの火の玉ではないでしょうね。ぼくもいろいろ聞きましたが、それによるとどう考えても火の玉は、やっぱり人の魂なんですよね。
山岸 あれは不思議なんですってね。あれってつかめないんだそうですよ。どんなものでも通過するんだそうです。
――でしょうね。でないと人魂も困るだろうし…。
山岸 でも妙な会があって、火の玉をつかもうという会がありましてね。そのたったひとつだけ通過しないものがあって、それが人聞の皮膚だっていうんです。それで、だがら冗談で人間の皮膚でアミを作ったらどうだっていうんです。でもどうやって作るのかしら? そっちのほうを考えたほうが私には怖いわ。
――たしかに! ―でもあれですか? 話はもどりますが、鬼門を閉じてやっぱり効果はあったんですが?
山岸 もうバッタリなくなりましたね、そういうことが。本当に不思議なくらいです。だがら、いままでのそれがあるいは気のせいかもしれないとも考えたんですけど、こんなふうにみごとになくなってしまうと……。
――そうですね、逆に気のせいがそうじゃないってことになってしまうわけですね。まあだいだい気のせいってのは、気のせいじゃない場合のほうが多いんですよ。
山岸 私もそう思います。でも鬼門を閉じたでしょ。 ―じつは今年のお正月に気になる夢をみたんですね。なんかそれ、とっても悪い夢じゃないかって思って、私みんなに話してるんですけど、つまり、いえばどっちにしても効力が減るんだそうなんです。良い夢も悪い夢もいってしまえは霊験がなくなるんだって。それでその夢っていうのが、武蔵小金井の郷土博物館にアシストさんたち二、三人で見学にいったという夢で、その博物館の人り口のすぐ正面のところにドーンと木の仁王さまが二体立ってるんです。実際に立ってるわけじゃないんですよ、夢ではそうなんです。ニメートルくらいの大きさで台座の上に立ってるんですが、私はそれを見ながらああ木彫りだわなんて思って見ていたら、なにかのはずみで足がすべったのかどうか知らないんですけど、私はカクンと体がかたむきましてね、その仁王さまの足の間に頭がポコッと入っちゃったんです。それで抜けなくなってキャーキャーいってると、どうしたのってみんながひっぱってくれるんですけど、どうしても抜けないんです。 ―そういう夢をパッとみてしまって、これは仁王さまに顔を踏まれたってことじゃないかなって思って、ホラ仁王って足の下に邪鬼を踏んづけてるでしょ?だからあたしって邪鬼なのかしらって思って、すごく気になってるんですよね。
――それはまた…鬼門を閉じて怒ってるのかな?
鬼門が開いていたときのほうが仕事の調子は良かった山岸 父がいうには、貴人の前に立つのは悪いことじやないっていうんですけど……でも今年はなんとなくおとなしくしなきゃいけないって気はするんです。鬼門を閉じてから仕事面での派手な面も一切消えましたし、そのかわり精神面では平穏な状況にはなってきたんですけど。だからね、鬼門があいてた時のほうが仕事はすごく調子が良かったんですけど、ただそれを続けていると、後で大きな負債を抱えることになるんじゃないかって気もするのね。だからいま閉じて平凡になっていくならそれでもいいやって思いましてね。
――そうですね。そうなんです、霊の力なんか問題にしなくとも、山岸さんはスゴい人なのです!)しかし、色々なことがありましたけど、なんだったんでしょうね、そういうのって……その金色の人ってのも気になるなあ……。
山岸 ええ、ただそのあと美内(すずえ)さんがその作品を見たあと電話くれたんですね。で、金色っていう色は悪くなくって、神の色なんですって、だから決して悪くないよっていってくれてたんですけどね。それでもやっぱりとても気味が・・・なんか良い意味でも悪い意味でも霊界につながってるような気がしてとても怖くて ―それで、なんとなく私、この家ってひょっとしたら霊界の通り道に、ちょうどポカッと鬼門口あけているんじゃないのかなって、そんな予感がしてたのね。
――それは怖い!
山岸 そうなんです。そう思って半年ぐらいかな…ある日猫十字社さんが家に遊びにきてくれて、それでみんなでペチャクチャ話していた時に、猫十字社さんが「この間の『日本昔話』見ました?」っていうの。それ私わりと好きで見てるんですけど、それは見てなかったからどんな話? って聞いたら、それがお盆の話で ―あるお百姓さんが家の前で行き倒れて死んだ旅人を葬ってあげたら、それから夜な夜なその旅人の霊が出るようになって、ある日たまりかねて亡霊にたずねたんですね。私たちはあなたを葬ってあげたのにどうして出てくるのかと、そうしたらその亡霊は、じつはお教えしたいことがあるんです、っていって外に出てみろっていうのね。で、外に出てみると、むこうのほうから小高い丘の途中にあるその家に向かって、もうウジャウジャって亡者が近づいてくるんです。見るとそこに白い一本の道があって、それが自分の家をスパーッと通過しているんですね。で、亡者が、この家は霊の通り道の上にあるんだから、このままではたたられるから別なところへ建て直しなさい。それがいいたかったんです。 ―それを聞いてあわててお百姓さんたちはその家を出ましたっていうお話だったんですけど、それを聞いて、なんか、それってまるで私の考えいたこととそっくりでね。もうビックリしちゃったんですよねェ。
――それはしかしヤバい話ですよね。考えるとゾッとするなァ。いやですねえ通り道だなんて、恐ろしすぎますよ。
山岸 だから私もあわてて改築なんてことになったんですけどね。
そして飯田氏までが、取材の晩 金しばりにあう!? そういう話なんです。そういう話なもんですからこのへんで終わりましょう。なにしろぼくはその夜“金しばり”にあったりなんかして、山岸さんのほうもその翌日、取っ手をひねらなければ開かない戸がかってに開いてしまったりとチョツトヘんなことがあったそうですが、まあ鬼門を閉じて、閉じ込められたのがまだ少し残っていたんだろうなんて話をこわばった笑いですませたのですけどね・・・。
でもあれです。姿を見せて迫ってくる霊というのはほとんどが悪霊ですから、話しかけてきても読者の人はそういうのは相手にしないように(話しかけてきたりするんです!)。相手にすると占いができるようになるとかいろいろあるのですが、そのうち霊にふりまわされかねないので良くないのです。さらに、精神的に弱っていたりすると、これはとりつかれることにもなるので、いつも元気でシッカリ強い子でいてください。
ところで、あなたのお家は窓や玄関が鬼門になっていませんか? 一応気をつけてみてはどうでしょう。それでは、ね。さあ、みんなでトイレにいこう!
山岸先生、インタビューどうもありがとうこざいました。
このインタビューは、「リュウ」 (徳間書店刊)昭和57年5月号に掲載されました。