2023年12月から中国語を日本語に翻訳コンテストは中国現代文豪の老舎の小説「駱駝祥子」の一、二の部分です。2024年1月から日本語を中国語に翻訳コンテストは日本近代女流作家壺井栄の「二十四の瞳」の一の部分です。老舎紹介 壺井栄紹介
2024年5月
応募締め切り時間:2024年5月31日14時
〆
骆驼祥子》1930年代北平(现北京)城里年轻好强、充满生命活力的人力车夫祥子三起三落的人生经历的长篇小说。祥子来自农村,贫困的农村使他再也不愿意回农村。在北平当上了一名租洋车,拉洋车的洋车夫(洋车即人力车)。祥子的最高愿望是以自己的诚实劳动买一辆属于自己的洋车。他用三年的时间勤奋劳动,省吃俭用,终于实现了理想,买上了自己的洋车。但刚拉上才半年,他的车就被逃兵掳走,失去了洋车的祥子只牵回三匹骆驼。因而被大家取笑为骆驼祥子。之后他娶了洋车行老板的女儿虎妞为妻后再次有了自己的洋车,但好景不长,虎妞死于难产,他不得不卖掉洋车料理丧事。以后同居的妓女小福子因被拍卖而自杀,祥子彻底失望而走向了堕落为“城市垃圾”的道路。中國文化沙龍從2023年11月到2024年12月分14次連載。
老舍《骆驼祥子》6:可是,不久他就看出来,拉车是件更容易挣钱的事;作别的苦工,收入是有限的;拉车多着一些变化与机会,不知道在什么时候与地点就会遇到一些多于所希望的报酬。自然,他也晓得这样的机遇不完全出于偶然,而必须人与车都得漂亮精神,有货可卖才能遇到识货的人。想了一想,他相信自己有那个资格:他有力气,年纪正轻;所差的是他还没有跑过,与不敢一上手就拉漂亮的车。但这不是不能胜过的困难,有他的身体与力气作基础,他只要试验个十天半月的,就一定能跑得有个样子,然后去赁辆新车,说不定很快的就能拉上包车,然后省吃俭用的一年二年,即使是三四年,他必能自己打上一辆车,顶漂亮的车!看着自己的青年的肌肉,他以为这只是时间的问题,这是必能达到的一个志愿与目的,绝不是梦想!他的身量与筋肉都发展到年岁前边去;二十来的岁,他已经很大很高,虽然肢体还没被年月铸成一定的格局,可是已经象个成人了——一个脸上身上都带出天真淘气的样子的大人。(405)
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2024年4月
老舍《骆驼祥子》5:从风里雨里的咬牙,从饭里茶里的自苦,才赚出那辆车。那辆车是他的一切挣扎与困苦的总结果与报酬,象身经百战的武士的一颗徽章。在他赁人家的车的时候,他从早到晚,由东到西,由南到北,象被人家抽着转的陀螺;他没有自己。可是在这种旋转之中,他的眼并没有花,心并没有乱,他老想着远远的一辆车,可以使他自由,独立,象自己的手脚的那么一辆车。有了自己的车,他可以不再受拴车的人们的气,也无须敷衍别人;有自己的力气与洋车,睁开眼就可以有饭吃。他不怕吃苦,也没有一般洋车夫的可以原谅而不便效法的恶习,他的聪明和努力都足以使他的志愿成为事实。假若他的环境好一些,或多受着点教育,他一定不会落在“胶皮团”(拉洋车的俚语)里,而且无论是干什么,他总不会辜负了他的机会。不幸,他必须拉洋车;好,在这个营生里他也证明出他的能力与聪明。他仿佛就是在地狱里也能作个好鬼似的。生长在乡间,失去了父母与几亩薄田,十八岁的时候便跑到城里来。带着乡间小伙子的足壮与诚实,凡是以卖力气就能吃饭的事他几乎全作过了。(442)
2024年4月の中日翻訳優秀答案当選者6名: ★梁佩婷 ★小林里香 ★李美穗 ★江川美帆 本崎宮美 野田佐知子 浅野京子 努力翻訳者: 趙明誠 李静芳 加藤健 田村千沙子 山田典子
老舍《骆驼祥子》4中日譯文: 祥子は、疾風の中でも暴雨でも歯を食いしばって奮い立て前進する、一食でも一茶碗でも我慢して節約する、ようやくその西洋車を手に入れたのだ。あの西洋車は、祥子が一所懸命、且つ幾重にも重なり合う苦難が実ると報われる、まるで、百戦錬磨の武士の勲章のようなものでもある。西洋車を借りていた頃、祥子は朝から晩まで、東から西へ、南から北へと、まるでムチで叩かれた駒のようにとにかく走り回っていた。自分を見失っていたのだ。しかし、こうして東西奔走、とにかく走り回っていてもなお、目はかすまず、心を乱さず、いつも遠い遠い未来に、自分の手足のように自由に動かせる一台の西洋車を憧憬している。自由で独立していて、まるで自分の手足のような西洋車があれば、運転手の機嫌を取らなくても済む、同僚の顔色を伺わなくてもよい。自分の西洋車と自分の足があれば、起きてさえいれば稼げる。祥子は苦労を厭わず、さらに、祥子は他の普通の人力車夫たちの言いにくい下品な悪癖を身につけてはいない。祥子の聡明さや努力は、成功の夢を確実に叶えるだろう。もしも、祥子が周囲の環境がもっとよければ、あるいはもっと教育を受けられれば、彼は、西洋車夫の輪に入ってくるかもしれない。彼はどんな仕事をしても、絶対に良いチャンスを掴まえるかもしれない。 残念ながら、現実では祥子は車を引かなければならない。車という生計でも彼の能力と聡明は表わした。まるで奈落の底に突き落とされてもなお、いい亡霊になれるかのようだ。田舎生まれ田舎育ちで、両親と痩せた土地を失った祥子は、十八歳の頃に都会にやって来た。田舎若者特有の丈夫さや正直さをもって、体を動かす仕事なら、何でもかんでもやりまくってきた。(翻訳者:梁佩婷 小林里香)
日本語から中国語翻訳コンテスト
2024年5月
応募締め切り時間:2024年5月31日14時〆
[二十四の瞳 内容梗概]1928年(昭和3年)、年轻的女教师大石老师来到瀬戸内海中美丽的小豆島小学分校担任教师。她的班来了12名可爱的一年级新生加上六年级学生一共24名学生。孩子们恶作剧让大石老师落入沙滩上的陷井,脚受了伤。回到本州的家里休养。孩子们非常想念老师,哭着去探望远地的老师。但老师伤后没能返回小豆岛。大石老师厌恶军国主义教育方针的学校,退职,结婚了。战争中, 大石老师的丈夫战死,母亲和小女儿悲惨死去。战争中,班上的男孩子的一半也死去了。战后中年的大石老师再次赴小豆岛任教的故事。
「壺井栄 『二十四の瞳』 の5」: 若いのと、なれないのとで、岬へくるたいていの女先生が、一度は泣かされるのを、本校通いの子どもらは伝説として知っていた。四年もいた小林先生のあとなので、子どもたちの好奇心はわくわくしていた。小林先生と別れてからも、みんなはまた、こんどくる先生の姿を前方に期待しながら、作戦をこらした。「芋女ォって、どなるか」
「芋女でなかったら、どうする」「芋女に、きまっとると思うがな」 口ぐちに芋女芋女といっているのは、この地方がさつま芋の本場であり、その芋畑のまん中にある女学校なので、こんないたずらな呼びかたも生まれたわけだ。小林先生もその芋女出身だった。子どもたちは、こんどくる女先生をも芋女出ときめて、もうくるか、もう見えるかと、道がまがるたびに前方を見わたしたが、彼らの期待する芋女出え出えの若い先生の姿にはついに出あわず、本村の広い県道に出てしまった。と同時に、もうおなご先生のことなどかなぐり捨てて、小走りになった。いつも見るくせになっている県道ぞいの宿屋の玄関の大時計が、いつもより十分ほどすすんでいたからだ。時計がすすんだのではなく、小林先生と立ち話をしただけおそくなったのだ。背中や脇の下で筆箱を鳴らしながら、ほこりを立ててみんなは走りつづけた。 (524)
「壺井栄 『二十四の瞳』 の4」: この小林先生だけは、これまでの女先生の例をやぶって、まえの先生が病気でやめたあと、三年半も岬の村を動かなかった先生であった。だから、ここで出あった生徒たちは、いちどは小林先生に教わったことのあるものばかりだ。先生がかわるというようなことは、本来ならば新学期のその日になってはじめて分かるのだが、小林先生は、かた破りに十日もまえに生徒に話したのである。三月二十五日の修業式に本校へいった帰り、ちょうど、いま、立っているこのへんで、別れのことばをいい、みんなに、キャラメルの小箱を一箱ずつくれた。だからみんなは、今日この道を新らしい女先生が歩いてくるとばかり思っていたのに、それを迎えるまえに小林先生にあってしまったのである。小林先生も、今日は分教場にいる子どもたちに、別れのあいさつにゆくところなのであろう。「先生、こんどくる先生は?」
「さあ、もうそろそろ見えるでしょう」 「こんどの先生、どんな先生?」 「しらんのよ、まだ」 「また女学校出え出え?」 「さあ、ほんとにしらんの。でもみんな、性わるしたら、だめよ」
そういって小林先生は笑った。先生もはじめの一年は途中の道でひどく困らされて、生徒の前もかまわず泣いたこともあった。泣かした生徒はもうここにはいないけれど、ここにいる子の兄や姉である。(543)
2024年4月の日中翻訳優秀答案当選者7名:★李美穗 ★梁佩婷 田中祐明 吉村雅平 田上聡 江川美帆 武田雄一 努力翻訳者: 梅村淳子 Jack
Zhang 木村省吾 平井真広 久保春奈
壶井荣《二十四只眼睛》之四):小林老师,只有她,与之前的女老师们迥然不同。自从前一个老师因患病而辞去,她竟然破例守在这“海角之村”呆上了三年半的时间。从这儿出去的学生们,哪个不曾听过小林老师的课呢。换老师这种事,本来是不到新学期开学哪天绝不会知晓的,但是这小林老师又破了一个先例,在十天前就泄露给学生们了。三月二十五号小林老师一旦回到本校参加散学典礼,不过,就在现在站着的这里,和学生们一边告辞,一边递给学生们一个个小奶糖盒。本来学生们还以为,今天会在这条路上遇到新来的女教师。但在迎接新老师之前,他们碰到的是小林老师。小林老师也想,她应该去跟分校的学生们道别而路过这里,跟学生们碰了个正着。 “小林老师,下一个老师呢?” “我不太清楚,应该是快要到了吧” “下一个老师是什么样的?”“我也不知道啊,还没见到呢” “又是一个女校刚毕业的小毛头吗?” “我真不知道呢,你们要使坏心眼儿,可不行啊”小林老师笑着说道。老师上任的第一年犹如艰苦跋涉的途中受到相当的困惑,在学生们面前忍不住哭出来的事儿也有过
。虽说弄哭她的学生已经不在这里了,但不管怎么说现在的学生仍旧是当年那些顽皮学生的弟兄和姊妹呀。(翻译着: 李美穗)
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